氷見市に住んでいる夷(えびす)です。
氷見市で一字のえびすは我が家のみです。
住所に氷見市、宛て名に夷と書いてもらえば郵便物が届きます。
さて、氷見市内にある
長谷川逸子氏の建築作品を紹介したいと思います。
長谷川逸子氏は1941年生まれです。
関東学院大学で建築を学び、同大学卒業後、菊竹清訓の下で1969年まで建築実務を学びました。
その後、住宅を学びに東京工業大学篠原一男研究室に勤務され、
1979年に
長谷川逸子・建築設計工房を設立されました。
1984年完成の眉山ホールが86年日本建築学会賞を受賞され、
湘南台文化センター公開コンペ最優秀賞受賞を期に、その後も数々の
公共建築の公開・指名コンペを勝ち抜きました。
なぜ、長谷川逸子氏設計の建物があるかと言えば、
前の前の市長、七尾市長がある会議で偶然長谷川逸子氏と席が隣になり、
建築家長谷川逸子を知ることになり、
仏生寺小学校の設計を依頼することになったのが始まりです。

これは、グランドから全体を撮ったもの。仏生寺小学校は平成5年11月竣工。
黄色が鮮やかで、このような色を学校に使っても良いのかなぁ?と思ったものでした。
職員室と校長室からグランドが見えるよう配慮、天井に勾配があり、
照明の蛍光灯が十文字に吊り下げてあり、内部は白と青?喫茶店のような職員室と思ったものでした。
右の円筒型の建物はクラブハウス。
四角の大きな建物は体育館。
体育館の裏にプールがあり、ステージの背面がガラス張りでプールが見えるのが、
不思議な感じがしました。それまで、ステージの後ろは壁が当り前と思っていたので・・・・

象の鼻のような、柱?・・・ 梁?・・・・
屋根は上か見ると二枚貝の貝殻のように見え、氷見と言えば海のイメージで設計したのでしょうか?
私からすると、仏生寺地区は中山間地。山のイメージなのです。
今は、富山大学の研究室が使用しています。
「イタセンパラ」という「たなご」のような天然記念物の魚をはじめ、多くの淡水魚も
見ることが出来ます。
次は、
海峰(かいほう)小学校。平成8年3月竣工。

中央が玄関ポーチ。児童と教職員は同じ玄関を使用している。
玄関ポーチの屋根はアルミフレームでポリカーポネード。
アルミフレームの方が上に出ていて、雨水が逃げるところがなく、蒸発するしか水がなくならない。
水の重みや積雪でポリカ板がたわみ雨漏りするようになり、
上に屋根をつくり両脇に軒樋を設置しました。屋上屋を重ねる?でした。
この頃、長谷川事務所では、
コンクリート打放し・アルミのパンチンクメタル・ビー玉を
必ず建物に使用しなければならなかった。
玄関ポーチの天井はパンチングメタル。
その上にビー玉がばらまかれ、児童が傘の先でビー玉を突いていた。

グランドから校舎棟を撮ったもの。
アルミのパンチングメタルが美しい。
建設当時、長谷川事務所は、パンチングメタルの穴の面積割合を2%ごとに
10枚以上の見本をつくらせて決定していた。

ビオトープと児童が水に親しむ場所として。
水を流していた時もあったが、水源が枯渇してしまった。
用水の水を流したこともあったが、汚いという意見もありこれも取り止め。
しかし、ここに水を流して児童が遊んでいる情景は大変良かった。
長谷川逸子氏だから出来たと思っている。
最後は、氷見市海浜植物園。竣工平成8年5月竣工

ガラス張りの展望レントランが目立ちます。
内部の独立柱は、1本1本色が違い赤・青・黄・紫等。
内部の窓枠も色とりどり。
暫くの期間、氷見市の公共建築は、外壁・内壁、どんな色でもOKでした

これは、裏の駐車場から展望レストランを撮影したもの。
「やじろべい」の構造と呼んでいましたが、ガラスの箱がバランスよく乗っかっているように見える。ここのコンクリート打放し面はきれいです。このように打てればいいなぁ・・・。
湊川に掛かっている「からくり時計」も長谷川氏のデザインです。
一度、氷見市へ長谷川逸子氏の建築を見に来てください。
by夷(えびす)