2014年08月10日

氷見市内,長谷川逸子氏の建築作品

氷見市に住んでいる夷(えびす)です。
氷見市で一字のえびすは我が家のみです。
住所に氷見市、宛て名に夷と書いてもらえば郵便物が届きます。

さて、氷見市内にある長谷川逸子氏の建築作品を紹介したいと思います。

長谷川逸子氏は1941年生まれです。
関東学院大学で建築を学び、同大学卒業後、菊竹清訓の下で1969年まで建築実務を学びました。
その後、住宅を学びに東京工業大学篠原一男研究室に勤務され、
1979年に長谷川逸子・建築設計工房を設立されました。
1984年完成の眉山ホールが86年日本建築学会賞を受賞され、
湘南台文化センター公開コンペ最優秀賞受賞を期に、その後も数々の
公共建築の公開・指名コンペを勝ち抜きました。

なぜ、長谷川逸子氏設計の建物があるかと言えば、
前の前の市長、七尾市長がある会議で偶然長谷川逸子氏と席が隣になり、
建築家長谷川逸子を知ることになり、仏生寺小学校の設計を依頼することになったのが始まりです。

旧仏生寺小学校@_R.JPG
これは、グランドから全体を撮ったもの。仏生寺小学校は平成5年11月竣工。
黄色が鮮やかで、このような色を学校に使っても良いのかなぁ?と思ったものでした。
職員室と校長室からグランドが見えるよう配慮、天井に勾配があり、
照明の蛍光灯が十文字に吊り下げてあり、内部は白と青?喫茶店のような職員室と思ったものでした。
右の円筒型の建物はクラブハウス。
四角の大きな建物は体育館。
体育館の裏にプールがあり、ステージの背面がガラス張りでプールが見えるのが、
不思議な感じがしました。それまで、ステージの後ろは壁が当り前と思っていたので・・・・

旧仏生寺小学校A_R.JPG
象の鼻のような、柱?・・・ 梁?・・・・
屋根は上か見ると二枚貝の貝殻のように見え、氷見と言えば海のイメージで設計したのでしょうか?
私からすると、仏生寺地区は中山間地。山のイメージなのです。
今は、富山大学の研究室が使用しています。
「イタセンパラ」という「たなご」のような天然記念物の魚をはじめ、多くの淡水魚も
見ることが出来ます。

次は、海峰(かいほう)小学校。平成8年3月竣工。

海峰小学校@ _R.JPG
中央が玄関ポーチ。児童と教職員は同じ玄関を使用している。
玄関ポーチの屋根はアルミフレームでポリカーポネード。
アルミフレームの方が上に出ていて、雨水が逃げるところがなく、蒸発するしか水がなくならない。
水の重みや積雪でポリカ板がたわみ雨漏りするようになり、
上に屋根をつくり両脇に軒樋を設置しました。屋上屋を重ねる?でした。
この頃、長谷川事務所では、コンクリート打放し・アルミのパンチンクメタル・ビー玉
必ず建物に使用しなければならなかった。
玄関ポーチの天井はパンチングメタル。
その上にビー玉がばらまかれ、児童が傘の先でビー玉を突いていた。

海峰小学校A _R.JPG
グランドから校舎棟を撮ったもの。
アルミのパンチングメタルが美しい。
建設当時、長谷川事務所は、パンチングメタルの穴の面積割合を2%ごとに
10枚以上の見本をつくらせて決定していた。

海峰小学校B_R.JPG
ビオトープと児童が水に親しむ場所として。
水を流していた時もあったが、水源が枯渇してしまった。
用水の水を流したこともあったが、汚いという意見もありこれも取り止め。
しかし、ここに水を流して児童が遊んでいる情景は大変良かった。
長谷川逸子氏だから出来たと思っている。

最後は、氷見市海浜植物園。竣工平成8年5月竣工

海浜植物園@_R.JPG
ガラス張りの展望レントランが目立ちます。
内部の独立柱は、1本1本色が違い赤・青・黄・紫等。
内部の窓枠も色とりどり。
暫くの期間、氷見市の公共建築は、外壁・内壁、どんな色でもOKでした

海浜植物園A_R.JPG
これは、裏の駐車場から展望レストランを撮影したもの。
「やじろべい」の構造と呼んでいましたが、ガラスの箱がバランスよく乗っかっているように見える。ここのコンクリート打放し面はきれいです。このように打てればいいなぁ・・・。

湊川に掛かっている「からくり時計」も長谷川氏のデザインです。
一度、氷見市へ長谷川逸子氏の建築を見に来てください。

by夷(えびす)

posted by 富山れきけん委員 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

私のルーツ 滑川市加島町

私は生まれてから幼稚園に上がる前まで、滑川市加島町に住んでいました。
旧北陸道沿いに家が建っていて、家のすぐ後ろは海で 防波堤が並んでいました。
波の音が子守唄がわりだったんですよ^^

P1030731_R.JPG
↑私の家ではありません(笑) お向かいの斉藤家です。
米蔵をいくつも所有するこの辺りの大地主さんだったとか。

P1030732_R.JPG
↑その米蔵
P1020268_R.JPG
これもかな?
歴史的建造物の保存、修復にかかわる講義に参加していますが
なんとなく、そのままの姿で静かにたたずんでいる建物を見るのも好きだったりします。
小さい頃、蔵の前の空き地でラジオ体操をしていましたが、その当時のままの姿です。

旧街道沿いではありませんが、この辺りは趣のある建物がいくつか点在しています。
P1030746.JPG

P1030740_R.JPG



旧北陸道に戻って 加島町のお隣、領家町です。
P1020251_R.JPG
出桁造りと出格子が美しい

P1020233.JPG
こちらのお宅は、漆喰の補修もされており、まだ綺麗なのですが、
残念ながら空き家になっています。
御病気で亡くなられたご主人は、私の父の同級生だったとか・・・
今は住む人もなく、大きな庭を持つこの素敵な建物の行く末が心配です。

私が住んでいた家は、私達が引っ越した後何年か伯父家族が暮らしていましたが
今はもう存在しません。
埃をかぶったアルバムを引っ張り出し、家の姿を残した写真が無いか探しましたが
残念ながらありませんでした。
ほんの数年間の記憶ですが、やはり寂しいものですね。

↓オマケ(笑) うん十うん年前のわたくし。。。
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by tajima

posted by 富山れきけん委員 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月08日

吉田鉄郎、藤井能三そして宮林彦九郎

『吉田鉄郎、藤井能三そして宮林彦九郎』

 昨年12月、東京のH氏と同行して福野の吉田鉄郎の作品を訪ねる機会がありました。
巌浄閣、五島家離れ、その他の住宅や作品を見てまわり、
最後に伏木小学校校庭に建つ藤井能三銅像を訪れました。この像の台座が吉田鉄郎の作品とのことです。
吉田の妻は藤井能三の孫娘です。帰ろうと校庭を歩いていたところ教頭先生が校内に招いてくださり、
藤井能三と伏木港について詳しく教えてくださいました。

富山県で育った方なら誰しも藤井能三のことは学校で習っているのではないかと思います。
藤井能三は幕末から明治期にかけて活躍した人です。
能三は越中の米輸送のために倶梨伽羅の峠に車道を開き、
直江津まで直行できる蒸気船の航路を開き、さらに三菱汽船の誘致をしました。
そのために伏木港の整備に尽力し、その後自ら船会社も設立しました。
このような藤井能三のはたらきに協力した人の一人が新湊の宮林彦九郎です。

 1月11日(土)に歴史的建造物委員会では射水市に建つこの宮林家の見学会を催します。
宮林家は19C前半から海運業に乗り出し、
幕末から明治期にかけてこの地域に広大な土地を所有していました。 
幕末期に前田家14代藩主慶寧の4女慰姫(有栖川宮威仁親王に嫁ぐ)が
少女時代に身を寄せていた家で、家の周囲には堀を巡らせ多くの土蔵をもつ豪装な屋敷です。
慰姫の居住していた座敷も残っているそうです。

住宅として使っている建物なので見学の機会は少ないと思いますのでぜひご参加ください。
見学ご希望の方は14時50分に宮林家前にお集まりください。
場所がわからない方は歴史的建造物委員会 丸谷(マルヤ)まで問い合わせてください。

image001.jpg
伏木小学校校庭に建つ 藤井能三の銅像



posted by 富山れきけん委員 at 21:30| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする