昨年12月、東京のH氏と同行して福野の吉田鉄郎の作品を訪ねる機会がありました。
巌浄閣、五島家離れ、その他の住宅や作品を見てまわり、
最後に伏木小学校校庭に建つ藤井能三銅像を訪れました。この像の台座が吉田鉄郎の作品とのことです。
吉田の妻は藤井能三の孫娘です。帰ろうと校庭を歩いていたところ教頭先生が校内に招いてくださり、
藤井能三と伏木港について詳しく教えてくださいました。
富山県で育った方なら誰しも藤井能三のことは学校で習っているのではないかと思います。
藤井能三は幕末から明治期にかけて活躍した人です。
能三は越中の米輸送のために倶梨伽羅の峠に車道を開き、
直江津まで直行できる蒸気船の航路を開き、さらに三菱汽船の誘致をしました。
そのために伏木港の整備に尽力し、その後自ら船会社も設立しました。
このような藤井能三のはたらきに協力した人の一人が新湊の宮林彦九郎です。
1月11日(土)に歴史的建造物委員会では射水市に建つこの宮林家の見学会を催します。
宮林家は19C前半から海運業に乗り出し、
幕末から明治期にかけてこの地域に広大な土地を所有していました。
幕末期に前田家14代藩主慶寧の4女慰姫(有栖川宮威仁親王に嫁ぐ)が
少女時代に身を寄せていた家で、家の周囲には堀を巡らせ多くの土蔵をもつ豪装な屋敷です。
慰姫の居住していた座敷も残っているそうです。
住宅として使っている建物なので見学の機会は少ないと思いますのでぜひご参加ください。
見学ご希望の方は14時50分に宮林家前にお集まりください。
場所がわからない方は歴史的建造物委員会 丸谷(マルヤ)まで問い合わせてください。

伏木小学校校庭に建つ 藤井能三の銅像
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藤井能三氏のことも、教えていただき、感謝です。