2014年01月15日

講演会『古民家に学ぶ家つくり』のご報告

講演会『古民家に学ぶ家つくり』2014年1月11日、射水市八幡町にて開催しました。
松井郁夫氏『松井郁夫建築設計事務所代表・ワークショップ「き」組 発起人』
講演をお願いしました。参加者20名。

講演会の前に、近隣の『宮林家』を見せていただきました。
個人宅なので、いつもは、見学出来ませんが、今回特別に見せていただきました。
『宮林家』は、幕末から明治にかけて、大きな土地を所有し、
19世紀前半より海運業を営んでいたとのことです。
幕末の旧前田家14代藩主慶寧(よしやす)の4女慰子姫(やすこ・有栖川宮威仁親王に嫁ぐ)が
少女時代に過ごした家です。


ma1_R.jpg
緩やかな屋根の屋敷
玄関横の格子のある部分は、式台です。式台の幅に驚き。
この式台から江戸時代、前田の殿様など位の高い人が籠に乗ったまま、この屋敷に入りました。
宮林家にも、籠が保存されているそうです。

ma2_R.jpg
広間 吹き抜けにガラスのトップライトがあります。室が広いための採光と思います。

ma3_R.jpg
縁側 大きな踏石(ふみいし) 材料選び・運搬・据付け大変だったと思います。
それだけ、財力があったということです。

ma4_R.jpg
髪結い床です。母屋から渡り廊下を通って入ります。
色ガラスは当時のものだということです。配色がとてもダイナミックです。
金沢市の兼六園の成巽閣(せいそんかく・前田家の奥方の屋敷)、
尾山神社の色ガラスを思い出しました。
金沢から離れて新湊で過ごす娘に故郷を思い出させ、寂しい思いをさせないための、
殿様もしくは宮林当主の心配りではないかと察しました。

ma5_R.jpg
講演会です。以下は大概要
日本は明治時代にヨーロッパから多くを学びました。
建築に於いては、日本の伝統建築の工法や伝統産業に配慮できずに、
レンガを張った洋館づくりなどをしてきました。
日本で『近代』建築を伝道した、海外の建築家がその率先です。
そして、木造よりも鉄筋コンクリート。その流れは、建築教育にも影響し、
大学では、木造建築を教えるところが少ない。
更に、第二次世界大戦後、焦土と化した日本の都市部に、労働力として多くの人々を迎えるため、
国が資金を貸して(旧住宅金融公庫)、人々に家を自力で造らせてきました。
比較的安価な家つくりの為もあり、筋かいや金物を使った現在の『在来工法』
という家つくりを確立してきました。
この家は、地震に際して硬い家つくりであって、伝統建築の場合の粘り、柔らかく動く家とは違います。
伝統建築の柔らかい家は、最大傾いても、全壊することは少ない。
そのためには、金物は極力使用せず、足固め、貫を使って、『木』組をします。
仕上げも、ビニールクロスや石膏ボードをなるべく使わないことを考えてほしい。
ウッドファイバー(木の繊維を固めた断熱材パネル)やゾノトライト系ケイ酸カルシウム板など、
いい材料もあります。

また、伝統的な建物の改修の断熱改修は、断熱材を施工し窓をペアガラスの建具を使うことで、
次世代省エネルギー基準の2.7以下にすることも可能です。
これ以上に多くのお話がありました。とてもエネルギッシュでした。
詳しくは、松井郁夫著 いまこそ「木組の家」に住みたい 彰国社 をご参照ください。

講演会の会場を提供して頂いたNPO法人水辺のまち新湊
見学させていただいた宮林家の皆様。
お忙しいところ、東京より来富し講演して頂いた、松井郁夫氏に心から感謝をいたします。

いまこそ「木組の家」に住みたい!―接続可能なみらいのための家づくり
いまこそ「木組の家」に住みたい!―接続可能なみらいのための家づくり松井 郁夫

彰国社 2013-11
売り上げランキング : 424402


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


posted by 富山れきけん委員 at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動>活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月08日

吉田鉄郎、藤井能三そして宮林彦九郎

『吉田鉄郎、藤井能三そして宮林彦九郎』

 昨年12月、東京のH氏と同行して福野の吉田鉄郎の作品を訪ねる機会がありました。
巌浄閣、五島家離れ、その他の住宅や作品を見てまわり、
最後に伏木小学校校庭に建つ藤井能三銅像を訪れました。この像の台座が吉田鉄郎の作品とのことです。
吉田の妻は藤井能三の孫娘です。帰ろうと校庭を歩いていたところ教頭先生が校内に招いてくださり、
藤井能三と伏木港について詳しく教えてくださいました。

富山県で育った方なら誰しも藤井能三のことは学校で習っているのではないかと思います。
藤井能三は幕末から明治期にかけて活躍した人です。
能三は越中の米輸送のために倶梨伽羅の峠に車道を開き、
直江津まで直行できる蒸気船の航路を開き、さらに三菱汽船の誘致をしました。
そのために伏木港の整備に尽力し、その後自ら船会社も設立しました。
このような藤井能三のはたらきに協力した人の一人が新湊の宮林彦九郎です。

 1月11日(土)に歴史的建造物委員会では射水市に建つこの宮林家の見学会を催します。
宮林家は19C前半から海運業に乗り出し、
幕末から明治期にかけてこの地域に広大な土地を所有していました。 
幕末期に前田家14代藩主慶寧の4女慰姫(有栖川宮威仁親王に嫁ぐ)が
少女時代に身を寄せていた家で、家の周囲には堀を巡らせ多くの土蔵をもつ豪装な屋敷です。
慰姫の居住していた座敷も残っているそうです。

住宅として使っている建物なので見学の機会は少ないと思いますのでぜひご参加ください。
見学ご希望の方は14時50分に宮林家前にお集まりください。
場所がわからない方は歴史的建造物委員会 丸谷(マルヤ)まで問い合わせてください。

image001.jpg
伏木小学校校庭に建つ 藤井能三の銅像



posted by 富山れきけん委員 at 21:30| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

新年のごあいさつ

KOT06a.jpg


あけましておめでとうございます
6月から活動をはじめた「歴史的建造物委員会」・・・「れきけん」も新しい年を迎えました。
昨年は土蔵についての勉強会を2回というゆったりペースで動き始めましたが、
今年は新年早々に松井郁夫氏の講演会、その後古色仕上げのワークショップ、
左官のワークショップといろいろと予定しています。

そしていよいよヘリテージマネージャーの養成講習会に向けての準備が開始されます。
富山県にもそう遠くない時期にヘリテージマネージャーが誕生することになります。
ヘリテージマネージャーって何?どんなことをする人たち?
という質問をされる方もきっと多いと思います。
3月にその質問にお答えする講演会を予定していますのでぜひおこしください。
このブログでもご案内いたします。

「れきけんは」はこれからますます多くの活動をおこなっていきます。
どうぞよろしくお願いいたします


image001_R.jpg

昨年ヘリテージマネージャー大会が島根県で開催されました。
そこで富山県ヘリテージマネージャ育成に向けて背中を押されてきました。
大会出席の帰りに寄った奥出雲では田部家土蔵群の美しさに感動しました。
昨年は土蔵を見る機会の多い年でした。

by丸谷
posted by 富山れきけん委員 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | おしらせ>ごあいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。