松井郁夫氏『松井郁夫建築設計事務所代表・ワークショップ「き」組 発起人』に
講演をお願いしました。参加者20名。
講演会の前に、近隣の『宮林家』を見せていただきました。
個人宅なので、いつもは、見学出来ませんが、今回特別に見せていただきました。
『宮林家』は、幕末から明治にかけて、大きな土地を所有し、
19世紀前半より海運業を営んでいたとのことです。
幕末の旧前田家14代藩主慶寧(よしやす)の4女慰子姫(やすこ・有栖川宮威仁親王に嫁ぐ)が
少女時代に過ごした家です。

緩やかな屋根の屋敷
玄関横の格子のある部分は、式台です。式台の幅に驚き。
この式台から江戸時代、前田の殿様など位の高い人が籠に乗ったまま、この屋敷に入りました。
宮林家にも、籠が保存されているそうです。

広間 吹き抜けにガラスのトップライトがあります。室が広いための採光と思います。

縁側 大きな踏石(ふみいし) 材料選び・運搬・据付け大変だったと思います。
それだけ、財力があったということです。

髪結い床です。母屋から渡り廊下を通って入ります。
色ガラスは当時のものだということです。配色がとてもダイナミックです。
金沢市の兼六園の成巽閣(せいそんかく・前田家の奥方の屋敷)、
尾山神社の色ガラスを思い出しました。
金沢から離れて新湊で過ごす娘に故郷を思い出させ、寂しい思いをさせないための、
殿様もしくは宮林当主の心配りではないかと察しました。

講演会です。以下は大概要
日本は明治時代にヨーロッパから多くを学びました。
建築に於いては、日本の伝統建築の工法や伝統産業に配慮できずに、
レンガを張った洋館づくりなどをしてきました。
日本で『近代』建築を伝道した、海外の建築家がその率先です。
そして、木造よりも鉄筋コンクリート。その流れは、建築教育にも影響し、
大学では、木造建築を教えるところが少ない。
更に、第二次世界大戦後、焦土と化した日本の都市部に、労働力として多くの人々を迎えるため、
国が資金を貸して(旧住宅金融公庫)、人々に家を自力で造らせてきました。
比較的安価な家つくりの為もあり、筋かいや金物を使った現在の『在来工法』
という家つくりを確立してきました。
この家は、地震に際して硬い家つくりであって、伝統建築の場合の粘り、柔らかく動く家とは違います。
伝統建築の柔らかい家は、最大傾いても、全壊することは少ない。
そのためには、金物は極力使用せず、足固め、貫を使って、『木』組をします。
仕上げも、ビニールクロスや石膏ボードをなるべく使わないことを考えてほしい。
ウッドファイバー(木の繊維を固めた断熱材パネル)やゾノトライト系ケイ酸カルシウム板など、
いい材料もあります。
また、伝統的な建物の改修の断熱改修は、断熱材を施工し窓をペアガラスの建具を使うことで、
次世代省エネルギー基準の2.7以下にすることも可能です。
これ以上に多くのお話がありました。とてもエネルギッシュでした。
詳しくは、松井郁夫著 いまこそ「木組の家」に住みたい 彰国社 をご参照ください。
講演会の会場を提供して頂いたNPO法人水辺のまち新湊。
見学させていただいた宮林家の皆様。
お忙しいところ、東京より来富し講演して頂いた、松井郁夫氏に心から感謝をいたします。
いまこそ「木組の家」に住みたい!―接続可能なみらいのための家づくり | |
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