2013年08月21日

土蔵見学会報告


土蔵は地域の文化を語ってくれます。
2013年8月10日 富山市婦中町古里地区で土蔵の見学会を行いました。
古里地区ふるさとづくり推進協議会(富山市)の方々、
建築関係の方々約30名の参加で、開催されました。
富山市の北叡山各願寺・M邸の蔵を見せていただきました。
101_R.JPG

104_R.JPG

013_R.JPG

●土蔵とは?
資産家が、家財・道具・お米などを入れるため造られました。
明治以降のものが多いようです。

●土蔵のつくり
土蔵の壁は、荒壁(あらかべ)、中塗り、漆喰(しっくい)の3層で出来ています。
3層の土壁は室内の湿度をほぼ一定に保ち、漆器などの保管に最適だそうです。
上(天井)まで土で塗って、更に瓦葺などの木造屋根を載せた『置(おき)屋根』形式と、
瓦葺などの屋根まで土で塗り込めた『塗籠(ぬりごめ)』形式があります。
今回見せていただいた2箇所は置屋根形式ですね。

●漆喰(しっくい)仕上が一番
最終仕上げの漆喰は雨に比較的強く、蔵を守ります。
補修する場合に表面に鉄板を張ったり、モルタルを塗ったりすると、
漆喰のような適度な湿度は保てないそうです。

●鏝絵(こてえ)は、左官の見せ所
103_R.JPG
各願寺

123_R.JPG
M邸

今回、見せていただいた2箇所には、躍動感ある鏝絵がありました。
細い髭は芯に針金、目玉にはガラス玉を使っています。2箇所とも、相当レベルの高いもので、
故・大上三治(おおかみ・さんじ)氏(富山市婦中町)の作だそうです。
推進協議会会長のご祖父です。

●扉を開けると『ベルが鳴る』
蔵に侵入するため扉を引くと、こんな仕組みが隠れています
114_R.JPG

111_R.JPG
丸いものがベルです。

富山県高岡市の二上外次郎(ふたがみ・そとじろう)氏(1853年生まれ)によって
このベルが鳴る仕組みを明治28年(1895年)に取得しています。
日本の錠前における特許第一号といわれているそうです。
この仕組みを考えた方が、明治時代に、しかも富山県高岡市におられたのですね。驚きです。
二上外次郎氏の業績は、株式会社日本ロックサービス(東京都豊島区)として、
引き継がれているようです。

蔵を造ることは『雇用も兼ねていた』
稲作の小さな農家や小作農家(※1)は、生活が苦しい。
そんな人々は農閑期に、専門の大工さん、左官さんの補助として、土を練ったり、
荒壁を造ったりして土蔵造りを手伝い、日銭を稼いでいたそうです。
お金に余裕のある大地主や資産家は、それほど必要性がなくても、
そのために蔵をつくることがあったそうです。

お金持ちが、地域のために、仕事をつくり、生活の苦しい人々を助けていく。
現在、日本政府が行っている、緊急雇用で失業者を助ける政策に似ています。
小さな農家や小作農家が苦しかったのは、
当時の社会に色々な不平等があったことが問題だったかもしれません。

でも、今の私たちは、自ら地域社会を助け合うことを意識しているでしょうか。
昔の方々に教えられます。

※1 第二次世界大戦前は、大地主と地主から土地を借りている小作農家という関係が
約半分だったそうです。同戦後、国の農地改革で、多くの小作農家の土地は自分達のものになりました。

●文化は、意識して守り育てることが必要。
鏝絵は、土蔵造りの『花』です。
依頼主が、お金をかけたり、腕の良い左官さんに依頼したりして、出来たものです。
それが、後世に残って、私たちが見ています。

これからは、お金持ちも、そして、どうにか暮らしている私たちも
『文化』を支えていけばどうでしょう。
時には、好きな作家の陶器でコーヒーを飲む。新酒をガラス作家のお猪口で頂く。
家つくりでも、家の玄関にタイルを貼らず、三和土(たたき)※2の土間にする。
文化は、自分たちが支えることで、その地域に素晴らしい作家が育ち開花します。
そして、その地域の力がアップします。
そんなことを感じました。


※2赤土・砂利などに消石灰にがりを混ぜて練り、塗って敲き固めた素材。
3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。土間の床に使います。

●見学の後は、故・竹内源造氏(小杉町の有名な左官さん)の話や彼の様々な鏝絵の話を伺いました。
144_R.JPG

●今回の講師を引き受けてくださった、田村京子氏(竹内源造記念館友の会・代表)
石ア勝紀氏(石ア左官)には、色々な例を紹介しながら分かりやすく説明して頂きました。
企画の段階から当委員会に声をかけて頂いた、主催の古里地区ふるさとづくり推進協議会の皆様、
一緒に楽しく学ばせて頂きました。
快く見学をさせていただいた各願寺・M様ありがとうございました。
皆様には、本当に感謝です。ありがとうございました。


文;池田





posted by 富山れきけん委員 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 活動>活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月10日

台湾の歴史的建築物その2


◆台湾にはたくさんの植民地建築物が建てられ、今なお現役で役割を果たしているものが多くあります。
その中の2つの建物をご紹介します。
旧台北医院本館(現台湾大学付属病院)  台北市指定古跡
1916年に旧台湾総統府の近くに建てられました。
設計は総督府営繕課で赤煉瓦に白色の帯状部材が配された「辰野式」建築です。
この病院は植民地に移住した人々に本国と同様な医療を提供し、
また被統治国へ日本の支配力を見せるという目的がありました。

ma1 (4).jpg ma1 (5).jpg
この建物は現在台湾大学付属病院として使われており、病院施設として地下鉄やタクシーなどを利用して訪れた人々が内部のホールを行き交っていました。
ma1 (7).jpg ma1 (6).jpg
↑内部の様子です。当初の姿を留めています。
ma1 (8).jpg ma1 (9).jpg
ディテールも素敵です。
ma1 (10).jpg

建具は木製サッシが使われています。
中には歪んだガラスも多く、古いものをそのまま使っていることが分かります。
ma1 (11).jpg

表の外部には気持ちの良いカフェテリアがあります。
テイクアウトのお店があり建物の雰囲気を損なうことのない店構えです。

旧制台北高等学校(現国立台湾師範大学)  講堂は台北市指定古跡
1922年に建設された学校建築です。
旧総督府から南東に下った地区にあり、近くには旧台北帝国大学(国立台湾大学)もあります。
ma1 (12).jpg ma1 (13).jpg
↑本館と講堂
ma1 (15).jpg ma1 (14).jpg
↑廊下そして会議室として使われている部屋  
内部も当初の姿のまま使われています。窓の建具は木製です。
ma1 (16).jpg ma1 (17).jpg
↑建物内部の柱頭と照明のディテール

台湾は白蟻による被害が多く、コンクリートの建物が早い時期から建てられましたが
それに先だって赤煉瓦が普及していました。「辰野式」建築にみられるように
外壁にむき出しの赤煉瓦が使われ、旧台湾総督府などはそれに白色の石材が配されています。
しかし旧台北医院本館では赤煉瓦に配される白色の部分はテラゾーが用いられています。
この旧制台北高等学校でも内部外部とも様々な部位でテラゾーが使われています。
ma1 (18).jpg 内部の柱脚、床共テラゾー
ma1(20).jpg ma1 (19).jpg
↑階段の床のディテール

今回の台湾訪問でいろいろな歴史的建造物や街並みを見てきましたが、
最も印象に残ったのがこの二つの建物です。建築後100年近く経った建物なので
現在は資料館や記念館のような使われ方をしているのかと思っていましたが、
訪ねてみると病院は病院として、学校は学校としての用途で普通に使われていることに驚きました。
どちらの建物も改修された様子がなく(さすがにトイレは新しい素材でパーティションを建てて、
便器や手洗器は現代の物に替えていますが、空間はそのままの姿です。)
当初の姿のままですが、どこも手入れがきちんとされていて気持ちよく、
清々しい状態で使われています。

古い建物でもこうして生き生きと使い続けることができることにとても感動を覚えました。
学ぶべきことが多いと思います。


台北には実に多くの日本の統治時代に建てられた建物が残っています。
今回紹介したように当初の用途のまま使われ続けている建物もたくさんあります。
その他建築当時の目的から、美術館、イベントスペース、店舗などに
用途変更して使われている建物もあります。
また数は少ないですが日本風の木造建築の住宅も残っています。
既に荒れ果てて崩れそうな建物もありますが、
近年木造住宅を改造して喫茶店などに利用することもおこなわれているようです。

台北には富山空港から直行便が運航されていて、気軽に訪れることのできる都市です。
ぜひ台湾の歴史的建造物を見る旅行をお勧めいたします。

台湾の食べ物にも満足していただけると思います。

byぶん


posted by 富山れきけん委員 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県/国外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

台湾の歴史的建築物その1


休暇でこの夏台北に行きました。そこで訪ねた建物の中から幾つかをご紹介したいと思います。

1895年台湾は日清戦争後の下関条約により日本の統治時代が始まり、
第二次世界大戦で日本が敗北しその領有権を放棄するまで続きました。
その間日本はたくさんの植民地建築物を台湾に建設しました。

◆その代表的建築物の一つが台北市内に建つ旧台湾総督府(現総統府)です。
清朝時代台北は台北城を中心に約1.4km四方の城壁に囲まれていました。
城壁は統治時代に撤去され、かつて場内であった地区は行政の中心として計画的に街並みが整備され、
役所や銀行、病院、博物館など西洋風の建物が建てられました。

ma1 (2).jpg

旧台湾総統府はこの地区に日本の台湾支配の象徴と言える建築物として1919年に建築されました。
設計は1909年に日本初のコンペによって当時日本銀行建築所技師であった
長野宇平治の案が選ばれました。実施設計ではこの長野案を元に台湾総督府営繕課により、
さらにこの建物の威厳を強調する形に修正され中央の塔は地上60mの高さまで上げられ、
左右対称の建物の両端部もより強調されて軒にはペディメントが付けられました。
玄関や塔部分には二本の円柱を並べたカップルド・コラムが用いられ、
外壁は赤煉瓦の地に白色の部材が帯状に配されています。
これらは東京駅の設計者であり明治を代表する建築家である辰野金吾が好んで用いたことから
辰野式」と呼ばれる様式です。

この建物は第二次世界大戦の空襲で一部が破壊されましたが、
戦争の終結後は中華民国による台湾省行政長官公署として使用され、
その後国民党により中華民国総統府として使用されるようになりました。
主は代わっても台湾の行政庁舎として使用され続けています。
台湾の民主化により1996年より建物の一般公開が行われるようになり、
1998年には台湾の国定古跡に指定されています。
ma1 (3).jpg


旧総督府の建物を訪ねると、日本が欧米に対しても自国の植民地に対しても
その力をいかに示そうとしていたのかよく理解することができます。
そして100年近く前に建てられた姿を丁寧に維持して使われ続けていることに感動を覚えます。
この建物は人気の観光スポットで、公開日には開門を待つ人の列ができるほどです。
台北に出かける機会がありましたなら、並んででもぜひ見学をされることをお勧めします。

その2へ続く・・・

byぶん


posted by 富山れきけん委員 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム>町並れきけん散歩(県/国外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。